記者が質問すること

こんにちは。廣瀬祐子です。テレビ記者を38年やってました。半生を通じて感じた「質問することの重要性」と難しさについて書きます。

記者生活を通じて、定例の記者会見や企画取材で質問をし続けてきた。その数は定例の会見だけでも2万回は超えると思う。とはいっても最初から質問する事が得意だったわけではなく、最初に配属された政治部の官邸記者クラブでは何を聞けばよいのかわからず、怖くて全く質問ができなかった。
当時の総理番の仕事は(当時は)中曽根総理大臣の出入りの際に質問し、やりとりを本社に連絡することだったが、自分では質問ができず、ベテラン新聞記者の質問を聞いているだけの毎日だった。
テレビで初の政治部女性記者ということで珍しがられ、何かと注目されるのも居心地が悪かった。
     

質問しない記者は記者とは言わん!

そんなある一日、後藤田正晴官房長官と写真を撮る機会があり、目立たないように下を向いている私に長官が言った。「君は私に何か質問することはないのかね?なんでも答えるよ」
定例会見ではベテラン記者の鋭い質問をかわす官房長官の軽口だった。まわりの記者達が「俺はそんなこと言われた事がない。いいなあ」と冷やかす。
”カミソリ後藤田”と官僚からも恐れられる凄腕の官房長官に衆人環視の中で何を質問すればいいのだろうか?困って押し黙っていると、長官は厳しい顔になってこう言ったのだ。


「君は記者なんじゃろ?記者の仕事は質問することじゃよ。質問しない記者は記者とは言わん
目から鱗だった。質問しない記者は記者ではない?
常日頃「テレビの女性記者としてこの政局をどう伝えるのか」などと、女性の視点で物事を見ることを周囲から期待され、気の利いた答えができずに萎縮して、自分の仕事を見失っていたことに気がついた。そうだ!私は女性である前に記者であり、そしてその仕事は質問することなのだ!極めてシンプルな事実にはっとしたのだった。


このときの心境は、目も見えず耳も聞こえず言葉も話せないヘレンケラーが、サリバン先生の手引きにより、初めて「水という言葉」と「水という物質」がつながり、感動のあまり「ウオーター!」と叫んだようだった。(大袈裟な例えでヘレンケラーには申し訳ない)
テレビ記者の仕事も政治の仕事も何もわからず居場所がない。そんな状態から「とにかく疑問に思ったことを質問しよう」と気持ちを切り替えた。心底疑問に思うことを視聴者の代りに質問すること、それが記者の仕事だと気づいた瞬間だったのだ。(17年後、社会部で警察改革の取材をしていた私は、刷新会議の委員だった後藤田長官を久しぶりに取材した際に、この思い出話をしたのだが、当然のように長官は全く覚えていなかった。笑

答えない警視庁や特捜部

政治部を経て社会部の警視庁担当となり、捜査員の自宅への夜回り、朝回りをする毎日となるが、捜査員たちは何を聞いても「知らない」「答えられない」。公務員には守秘義務があり、捜査情報を記者に明かす捜査員などいないのだった。政治家は、答えをけむに巻くが、捜査員は答えない。彼らの頭の中を勉強して近づくしかない。鑑識の本を探しまわった。


絞殺と扼殺はどう違うのか。(絞殺はひも状のもので扼殺は手で首をしめる。それぞれ遺体の傷跡の形状が違う)遺体の腐敗速度が水の中と空気中、土の中でどう違うのか等、本を買いあさったり質問したりして捜査員の使う「言語」を理解しようとした。そして悲惨な事件・事故に対する憤りという共通の思いや正義感を共有することで口の堅い捜査員から情報を得る突破口になっていったと思う。
ところが…


次に取材対象先となった東京地検特捜部では、そうした「思い」や「正義感」が通用しなかった。
検察官は「君の質問に答える義務は我々には全くない」と言う。
国民の知る権利が…等と言おうものなら「それは君の都合。こちらは捜査の秘匿が仕事」で終わり。
捜査対象者が政治家、官僚、企業幹部など社会的地位の高い人が多く、捜査情報の漏洩→証拠隠滅=事件が潰れる構図が警視庁より強く現れるのだった。事件を守るためなら記者には嘘をつくと公言する幹部も複数人いた。難攻不落の城を攻めているようなものだ。とはいえ言葉の定義を勉強していくことで少しずつ扉が開かれていく。「証拠価値高い低いか」「証拠能力あるないか」など質問するときに丁寧に言葉を選ぶことで彼らとの関係構築が少しはできるようになった。それでも質問が適切でないと全く相手にされない。答えてもらえるためにはどうすればいいのか、常に頭を悩ませた。

防衛省ではこう言われ…

911のテロの翌年、2002年に私は社会部から政治部の防衛担当となり、安全保障という新たな分野を取材することになった。北朝鮮は長距離弾道ミサイルの開発を進め、日本海や太平洋に向けて発射していた。最初のころは全く情報がとれなかったのだが、取材していく内に少しずつ情報がとれるようになっていた。そしてある日記者会見で質問した。すると…


「あなたの質問は国益に反する。だから答えることはできない」と言われたのだった。茫然となる。「質問に答えることは国家の機密事項にあたるので国益に反する=だから答えられない」というのならまだ理解できる。質問することは記者の仕事なのだ。それなのに質問自体が国益に反するというのは一体どういうことだ?その理由を防衛幹部に問うと「あなたの質問自体に機密にあたる部分が含まれているので、質問自体が国益を損なうのだ」と言われたのだった。まいったな~とその時思った。質問というのはつくづく難しい。

私の記者人生はどのタイミングで、誰に、どのように、そしてなぜ質問するのかの問いかけの連続だったと思う。記者の質問について次回は具体的なエピソードを交えながらまとめたいと思っている。続く

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ABOUTこの記事をかいた人

日本テレビで記者職を34年。その後討論番組を担当し、今年1月に 定年退職しました。これまでの経験を生かして働く女性の悩みに答えて 少しでも助けになればと思っています。よろしくお願いします。