初めての創作講談!

とある2月の土曜日、東京新宿で神田紅講談教室の発表会に福岡から参加しました。自分で作った創作講談、「矢ガモ騒動記」を10分間披露いたしました。
1993年2月1日、新聞記事で背中に矢の刺さった鴨を発見し、当時夕方のニュース番組のデイレクターだった私は「もう死んでるんじゃない?」というカメラマンとともに取材。通報を受けた板橋区役所の職員が投網で捕まえようとすると…なんと矢が刺さった状態で大空に飛び立っていく。その動きをニュースで取り上げると…視聴率がどんどん高くなっていき、取材から抜け出せなくなる。報道は過熱し、新聞はメディア欄で「夕方のニュースはワイドショー化」と批判的な記事を載せ、社内からも取材各部から「なんでこんなネタをとりあげるんだ」とつるし上げをくらって孤立。そんな中、仲間の鴨たちから仲間外れになっている矢ガモを見て自分の姿と重なって見えた。そこで…「私の名前は矢がも」(早く普通の鴨にもどりたい!)という鴨の気持ちを代弁したニュースを放送したところ視聴者から葉書をもらい感涙…。矢がもはその後矢を抜く手術を受ける。大空に放たれたヤガモは他の鴨の群れと合流し、普通の鴨に戻ったというドタバタ取材奮戦記です。

初めて作ったオリジナル講談でfacebook上でお知らせしたところ、多くの方々に来ていただいて本当に感激しました。高校の同級生、前の職場の後輩、同業他社、以前の取材先の方々、退職後に友人になった方々…そして一緒に取材してくれたカメラマンの姿も。

途中、熱演のあまり腕を大きく振り上げたら扇子を落としてしまい、一番前の席にいたお客さんに拾っていただくという間抜けな一幕もあり…修行がまだまだ足りません。

思わず腕を振り上げると…扇子落下
お客様に拾っていただきました

もともと20分で作った講談を、時間制限あり、10分に短くしたのですが、勉強になりました。何よりも人前で自分の作ったものをやり、かつ笑いや拍手をいただけるということは得難い経験でした。また改めて講談の語りの基本をきちんと学ぶことの大事さも痛感しました。生まれつきのおっちょこちょいで、数々の失敗談に事欠かないことを生かしてこれからも創作講談を作っていければ楽しい!!!

ちなみに友人が一部を撮影してくれたので添付しました。

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ABOUTこの記事をかいた人

日本テレビで記者職を34年。その後討論番組を担当し、今年1月に 定年退職しました。これまでの経験を生かして働く女性の悩みに答えて 少しでも助けになればと思っています。よろしくお願いします。