マイケルジャクソン騒動記 IN1987

こんにちは、廣瀬祐子です。テレビ報道記者を38年やってました。今回は過去に取材したマイケルジャクソンの思い出を書こうと思います。

1987年9月。20世紀を代表するスーパースター、マイケルジャクソンが新曲「バッド」で初のソロ世界ツアーを開始し、日本にも来日した。招へい元の日本テレビが独占放映権を持っていた関係で国内のツアーから中継から番組まで会社をあげて盛り上げるかつてない大イベントとなった。

MJの「スリラー」のミュージックビデオくらいしか見たことのなかった私だったが、上司の命で「マイケルジャクソン旋風」を報道でも取り上げることになった。

マイケルジャクソンの素材は…

当時のマイケル側との契約上、報道で取材した素材はすべて社内の「マイケルジャクソンバンク」に一括管理されることになっていた。

素材を撮りためて後日の企画用にまとめようと思っていたのだが、私が取材したマイケル関連の素材はすべて翌日の朝のワイドショーで「昨日のマイケルの動き」として報道より先に放送されるという前例のない展開となった。

私はひどく戸惑い、カメラマンからは「企画放送の前に映像が古くなるんだよ、どうするんだよ!」と連日責められていたが、そういう契約、そういうシステムなのでどうすることもできない。

マイケルがキディランドへ!

そんなある日…特番でマイケルを追いかけていた制作のデイレクターから電話が入る。おもちゃ大好きなマイケルが、突如予定を変更して原宿のキディランドへ行くという。

制作のカメラ手配は間に合わないので報道でカメラを出してほしいという。私はこの時、CBSソニーの担当者のインタビューを予定していたので「行けない」と断ったのだが「いいからとにかくキデイランドに行け!」と上司のように命令してきた。むっとしたが、マイケルのいくところに旋風がおこるのだから取材に行くしかないと気持ちを切り替えた。報道のカメラマンに予定の変更を伝えると「俺たちは制作の下請けじゃねんだよ!」とまたしても怒られる。

記者なのに追い出される!

キデイランドに到着すると広報担当者は私を見て眉をしかめた。「マイケルは非常に人見知りなので近距離での取材を嫌がる。引き返してしまうかもしれないので、カメラマンだけ残って、レポーターの方は屋上でしばらく待機していてほしい。タイミングを見て迎えをよこしますから」私はレポーターではなく記者なのだが、レポーターのように「マイケルが来ました~」と絶叫されてはマイケルが帰ってしまうと心配したのだろう。マイケルジャクソンが極端な人見知りだということは聞いていたので、私はキディランドの屋上で一人ポツンと合図が来るまで待つことを了解した。

マイケル来たけど、閉じ込められた!

小一時間ほど待っていると表参道の通りがざわざわし始めた。人が集まっている様子。マイケルが来た?上から下を覗き込もうとすると転落しそうになる。しかたなく待っているが声がかからない。少し様子を見に降りてみようとドアに手を掛けたら…開かない!鍵がかかっている。やられた!閉じ込められた!

このときの私の脳内では「私を邪魔者扱いしているキデイランドの陰謀で閉じ込められた!」と思ったのだ。何度かガチャガチャやっているが開く気配はない。

記者は現場にいなければ!マイケルの表情を生で見なければ!どうしよう。1987年当時、携帯電話電などない。カメラ無線で本社に急ぎ連絡をする。「キデイランドの屋上に閉じ込められた!」と報告すると報道フロアは大騒ぎになった。カメラデスクから折り返し無線連絡が来る。

「大丈夫か?今、東京消防庁に連絡したからあと10分ほどでレスキュー隊がキデイランドに到着する!」

「え??レスキュー隊?」

消防車のクレーンに吊り下げられる自分の姿が思い浮かぶ。マイケルジャクソンのいるキデイランドから消防車のクレーンで救出される間抜け記者!間違いなく面白おかしくニュースになってしまうだろう。全身に冷や汗が…

大勘違いだった!

居てもたってもいられなくなり、うろうろとひたすら屋上を一周していると…あれ?開かないと思ったドアの向こう側にもう一つ似たようなドアがあるではないか!まさか…ひどく嫌な予感がしてドアの取っ手に手をかけると…すっと開く…閉じ込められてはいなかった!!私の勘違いだった~~(絶叫)「す、す、すみません!今、開きました!」

勘違いだったなんて本当のことがどうして言えようか。
無線でそう言ってごまかすと、心優しいカメラデスクは

「よかったよかった」と素直に喜んでくれた。

そして東京消防庁への出動要請は取り下げられたのだった。(消防庁には大変なご迷惑をかけました)

階段を下りていくと、すでにマイケルは帰った後だった。全身脱力。記者は現場にいることが使命と信じていた私は「唯一近距離で顔も見る機会を自ら放棄したまぬけな記者」そのものだった。
なんとか「マイケルジャクソン旋風」をその後ニュース枠で放送したのだが、ワイドショーでさんざん映像が使用された後だけに報道局内での評判は「新鮮味がない」といまいちだった。
踏んだり蹴ったり…

後日談

1か月後、私に「キデイランドに行け!」と偉そうに指示したデイレクターを脅迫し、後楽園球場のマイケルジャクソンのコンサートチケットを入手する。ついに生のマイケルジャクソンを見ることができ、ビリージーンを聞きながらその歌声とムーンウオークのダンスに涙したのだ。マイケルジャクソンは本当に偉大なアーチストだった。

ちなみに37年前、私に「キデイランドの現場に行け」と指示を出したデイレクターが2年後に私の夫になるとはこの時は夢にも思っていなかった。

後輩記者から「結婚したきっかけは?」と聞かれた時には「マイケルジャクソンが結んでくれた縁」と答えてはいるけれども。

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ABOUTこの記事をかいた人

日本テレビで記者職を34年。その後討論番組を担当し、今年1月に 定年退職しました。これまでの経験を生かして働く女性の悩みに答えて 少しでも助けになればと思っています。よろしくお願いします。