矢ガモ騒動記~その②社会現象へ

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次の日、もはやいないだろうな…と思いながら石神井川へ行ってみると・・・
鴨は同じ場所に戻っていた。
橋の上では幼稚園児が集団でパンくずを投げ入れていた。

「カーモ頑張れ!カーモ頑張れ~」可愛らしい応援団が出来ている。
その様子を取材して放送した翌日、3日目の朝。番組デスクが満面の笑顔。

「鴨を取り上げてから視聴率がうなぎ上りだ!」

夕方の番組の視聴率が日を追うごとに跳ね上がっていたのだ。
93年当時民放各社は夕方のニュース枠を次々拡大。視聴率競争とは無縁だった過去の報道とは違い、視聴率を競う時代に突入していた。
橋の上の観客が増え、他局のテレビカメラが欄干にずらりと並ぶ。
こうなると連日報道しなければならなくなる。
4日目は警察にも取材。人間を傷つければ傷害罪に問われるが、動物の場合は器物毀棄罪にあたる。
石神井川の周辺をパトロールする二人組の警察官に話しかけると。

「いやー他にも傷ついたカモがいないかどうか確認しています」

「犯人を見つけたらどうしますか」

「とりあえず身柄確保して事情を聞いてから書類送検ですかね」

ニュースの見出しは
「板橋警察署、矢ガモの本格捜査着手」
スポーツ新聞が「矢ガモ」と命名したのを受け、ニュースのタイトルも「矢ガモ」に切り替えた。

5日目、都民からの殺到する電話に苦慮した東京都は巨大な捕獲ケージを石神井川に設置し、捕獲作戦に乗り出すこととなる。

「都庁から今夜捕獲すると連絡が入った。夕方は中継車を出すぞ」とデスク。

えーーー?
中継車には通常の取材に出る記者やカメラマンに加えて、映像を生で送信するための電送車、技術スタッフ ディレクター、オートバイなど多くのスタッフが駆り出される。動物ネタで中継車を出すのは前代未聞のことだった。
私は本社でまとめをすることになり、後輩の記者が現場に向かう。
夕闇が迫る石神井川に東京都が用意した巨大な金網が下ろされる。
照明のライトが川面を照らし、キラキラと波立つ水面を矢ガモが泳ぐ様子を望遠レンズで撮影するカメラマン。
その模様をモニター画面で見守るスタッフ一同。
誰もが固唾を飲んで次の展開を待っていたその時!一人の中国人留学生が河岸に降りようとして柵を乗り越えた。

「みんな何もしない。私助ける、カモ助ける!」

あわてる職員達。怒号が飛び交う中、矢ガモは羽音を響かせて夜空に飛び立っていく。捕獲作戦失敗である。
本社でがっくり肩を落としていると一人の外報部の後輩がやってきた。

「ルソン島で火砕流があって50人以上の死者と行方不明者が出てるんですけど、矢ガモのせいでこのニュース落ちました」「・・・」
社会部の後輩も

「自民党の金丸信の臨床尋問を中継でやる予定が急遽カモに切り替わったといって社会部デスクが理由を聞いてこいと言ってます」
政治部のデスクは「政局が混乱して国会も大荒れのニュースがたった30秒でカモが3分。どうなってるんだよ。新聞読んだか?叩かれてるぞ」「・・・」

新聞各社は連日の騒動をメディア欄で取り上げ、

「視聴率競争激化。夕方ニュースがワイドショー化」と批判的な記事を乗せたほか、テレビの過熱取材で鴨にも相当なストレスがかかっているはずだという動物学者のインタビューまで載せていた。完全に四面楚歌の状態だった。
翌日の土曜日が休みで寝ていると電話でたたき起こされる。

「矢ガモが上野公園の不忍池で発見されました!」

「え?そんな遠くまで?」
すぐに現場に行ってくれという土曜日担当デスクの要請を「休みだから」という理由で断わる。報道局内で批判の矢面に立たされているというのに休みの日にまで現場に行けとは…すると今度は夕方のデスクから電話がかかってきた。「これまでの状況が分かっている記者が必要なんだ。とにかく現場に行け」「嫌です」「おまえは山中鹿之助なんだぞ!それを忘れるな」「誰です?それは」「『我に艱難辛苦を与えよ』と自ら試練を求めた戦国時代の武将だ」「で、その人最後どうなるんです?」「最後か、うむ、最後は…全身に矢が刺さって死んだ」力が抜けていく。私は矢ガモか?とりあえず行くしかないとあきらめる。

上野公園の不忍の池に到着すると、大勢の野次馬と報道陣で見たこともない黒山のひとだかり。これまでは民放のカメラだけだったのがNHKのカメラまで!スポーツ新聞だけでなく、批判的な記事を載せていた新聞社のカメラも。

「上野公園に矢ガモ現る」のニュースは土日のトップニュースとなり、矢ガモは完全な社会現象となっていた!

不忍池の鴨(イメージ)

さてその翌日の月曜日、矢ガモは再び石神井川に戻り、川床にできた中洲でひなたぼっこをしていた。周囲にはいつのまにか大勢の仲間の鴨たち。ところが矢ガモがオズオス彼らの方へと近づくと、仲間はすっと距離を置く。近づくヤガモ、離れる仲間。近づくヤガモ、離れる仲間、そしてヤガモを振り切るように仲間たちは一斉に飛び立って、離れた場所へと移動したのだ。一羽だけ中洲にポツンと取り残される矢ガモ。「かわいそうだなあ、仲間外れになっているよ」カメラマン。私だって社内で矢ガモ状態だよ!と思わず言い返しそうになってはっとした。

ひとりぼっちの矢ガモ イラスト

素材をもって本社に上がると一心不乱にパソコンに文字を打ち込む。

「私はヤガモ、誰が名づけたのかは知らない。
気がつくといつまにかそう呼ばれるようになった。
自ら望んでヤガモになったのではない。
悪意のある人間が私を狙って矢を放ったのだ。
矢は急所を外れて私は幸い生きている。
でもそれは幸せなことなのだろうか?
今度は人間たちに追いかけ回されるようになった。
どこへ行ってもカメラに取り囲まれてしまう。
大事な仲間は私が近づくと皆逃げていく。
一体私が何をしたというのだろう。
早く普通の鴨に戻りたい。
ああ色即是空 空即是色!私の名前は空飛ぶ矢がも。

仲間外れになる映像やカメラに取り囲まれる映像にさまざまなBGMを付けて「私はヤガモ」と題するニュースを夕方のニュースで放送した。

そして3日後。一枚の葉書が届く。手元に残っていないので正確ではないが、「鴨が仲間外れになるニュースを見た。仲間外れになっても空を飛ぶ矢がもはすごい。勇気をもらった」という同じく仲間外れになっている中学生からの感謝の葉書だった。
思わずその葉書をしっかりと胸に抱きしめた事を覚えているが、残念なことに葉書は手元に残っていない。大事にとっておくべきだったと今でも思っている。

その後ヤガモは上野動物園の医療スタッフの手を借りて矢を抜く手術をうけ、2月末には無事に渡り鳥として野生に返されることとなる。
大空に放たれた矢ガモにはすでに矢はなく、普通の鴨に戻った瞬間だった。
騒動が終わってほっとしているとデスクがやってきた。「今度は割り箸が首に刺さった白鳥が見つかったぞ!」

テレビ報道史に残らない矢がも騒動だが私にとっては思い出深いエピソードである。

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ABOUTこの記事をかいた人

日本テレビで記者職を34年。その後討論番組を担当し、今年1月に 定年退職しました。これまでの経験を生かして働く女性の悩みに答えて 少しでも助けになればと思っています。よろしくお願いします。