みなさん、こんにちはテレビ記者38年やってました。廣瀬祐子です。40年以上前の中曽根総理番記者時代の思い出について書こうと思います。
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戦後政治の総決算
思い返すと番記者時代は多忙を極めていた。中曽根元総理は周囲から担ぎあげられて総理になったのではない。「弱小派閥だ、風見鶏だ」などと揶揄されながら田中角栄元総理の支援を受けて「満を持してなりたいからなった総理」だった。その心情と信条は当時の私には雲の上の人すぎて理解できず、私も当然ながら総理から記者としてまったく相手にされていなかった。そんな私にも「戦後政治(=敗戦後の日本の政治)を今のままにはしておけない」という総理の強い意志は随所で伝わってきた。総理は二言目には「戦後政治の総決算」という言葉を使っていた。新しいものが大好きな好奇心旺盛のところがあり、アイデアマンでもあったし、物事にこだわらないおおらかさもあった。

なつかしく思い出されるのは、83年11月の劇団四季の「キャッツ」の初上演でのこと。
劇団四季の代表と親交のあった中曽根総理はこのミュージカルを鑑賞したのだが、取材する内閣記者会(=官邸詰めの記者クラブ)所属の番記者達には劇団四季から席が用意されていた。私は劇団四季の劇場窓口で報道担当の男性に名刺を渡し「内閣記者会の席があるそうですが…」と尋ねたが、担当者はじろりと一瞥して「そんな席は用意していない」と答えたのだった。
おかしいな~と思いながら上演中ずっとカメラマンと一緒に一階席の後ろで立って観賞した。初めて見るミュージカル「キャッツ」は評判通りで面白かったのだが、上演後に二階の招待席からぞろぞろと内閣記者会の記者達が下りてきたのと出会った。彼らは私を見て「なんでそんなとこにいるの?」と聞くが答えられない。え~と?…なぜ私だけここに立っているのだろう?
上演後総理と懇談会へ
上演が終わると場所を変えて中曽根総理と番記者の懇談会になった。多忙な総理と酒を飲む機会はめったにない貴重な機会だ。キャッツ鑑賞の1週間後には中国の胡耀邦総書記が来日する重要な外交日程を控えていた。
日中関係は1972年の国交正常化以降、中国国内の政情不安や鄧小平氏の失脚(のちに復活)田中元総理の逮捕、台湾との関係があり改善に向けては遅々とした歩みだった。直前の鈴木前政権下では日本の教科書の日中戦争の記述をめぐり、過去の侵略を矮小化していると中国側から抗議されるなど歴史認識で常に火種を抱えていた。そうした中、中国共産党の最高指導者、胡耀邦総書記の初来日にこぎつけた中曽根外交の鮮やかさは際立っていたのだ。外交ビッグイベントを控えたつかのまのミュージカル鑑賞。
中曽根総理は酒を飲みながらいつになく上機嫌だった。
海軍の主計士官だった彼は「このまま死を覚悟した」という戦時中の体験談を記者団に話して聞かせてくれた。初めて聞く話ばかりで興味深い。
燕雀、鴻鵠の志を知る!?
一同し~~んとして聴いていた時、総理は私を見て突然、話題を変えた。
「ところで、キャッツどうだった?いい席だったからよく見えただろ?」
「!」
そのいい席に座れなかった私は何と答える?迷ったが、とっさに聞かれたので嘘もつけない。
「私だけ招待席に案内されませんでした。内閣記者会と思われなかったのかも…」
一瞬の沈黙。その場にいた他社の記者10数人と総理の全員が私の服装をじっ~と見た。皆の視線を追って私も自分の服を見る。白いふわふわの毛糸のセーターに7色のぼんぼりがついている間抜けな服を着ていた。

この日は休日。ミュージカル観賞だからと気を抜いてラフな格好をしていたのだった。
(そんな服装じゃ政治記者に見られなくて当然だよ…)と全員が心の中で思っている事を一瞬の静寂で私も悟った。しまった!休日だろうと仕事ならスーツを着てくるべきだった!ああ…またしても…と後悔したその時、中曽根総理はこう言って笑ったのだった。
「内閣記者会なんてつまらないもんに見られなくてよかったじゃねえか」
え?じゃねえか?内容の意外さとべらんめえ口調にはっとする。
「燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや。この言葉を知っているか?」
「はい、高校の漢文で習いました」
「いい言葉だろう?俺はいつもこの精神で総理大臣として仕事をしている。」
彼は実に楽しそうにそう言うと、日本酒をぐいっとあおったのだった。
「燕や雀のような小さな雀には、鴻(白鳥など大型の水鳥)の抱く志や高い理想を理解することはできないという「史記」に登場する有名な故事で、視野の狭い者や見識のない小人物は、大人物の持つ遠大な志を到底理解することができない」という例えだった。
「燕雀」の私と「鴻鵠」の総理
キャッツの鑑賞のわずか1か月前、ロッキード一審有罪判決という大激震が中曽根官邸を襲っていた。議員辞職を求める中曽根総理とそれを拒否する田中元総理の間の溝は埋まらず総理の支持率は急降下、政界運営には暗雲が立ち込めていたのだった。田中派の支援がなければ弱小派閥の中曽根派の領袖では難局を乗り切れないだろうと政界では囁かれていた。そういった観測すべてをぐいっと飲み込んだように私には映った。戦後政治の総決算にかける自分の強い信念は周囲の無理解な人々に理解されなくても構わないと言っているようだった。
中曽根総理は私に対して一度も「女性記者はこうあるべき」と他の政治家が言うような事は言わなかった。(そもそも関心がなかっただろう)内閣記者会の一員として見られようが見られまいがそんなことは記者としての仕事の本質には何の関係もない。席に座ろうと座れまいがキャッツの感想を言えばよかったのだ。つまらないことを気にした自分が情けない。外見ではなく「本質」を見抜くことが記者の仕事なのだから。「私も記者としての仕事をしなければ、その前に目標を作ろう」と気持ちが明るくなったことを覚えている。燕雀の身では鴻鵠の志を完全に理解することは難しいのだけど… そもそも私に鴻鵠の志なんてあらんや?(いや、ない) つづく。
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