今年のパリで開かれる五輪は大いに盛り上がると期待しますが、私が思い出すのは36年前、1988年に大韓民国のソウルで開かれたパルパル(88=パルパル)五輪です。
アジアで日本に次ぐ2番目の開催地となったソウル。日本はバブルの真っ最中で報道局、スポーツ局、制作局、総務局、現地スタッフ、コーディネーター、通訳など総勢100人近い大取材陣がソウルに結集。
前年には北朝鮮による大韓航空機爆破事件が発生、テロの危険もあるということで社会部の一員として参加し、連日激しさを増す学生デモや労働争議の取材に駆り出された。
競技が始まるとスポーツ局の手伝いとして競技場にも出向く。
9月24日は「世界一速い男」を決める陸上男子100メートル決勝。
一斉にスタート!と思ったらあっという間に勝敗の決着が。カナダの代表・ベンジョンソンが世界新記録で優勝!私は初めて組む韓国人カメラマンと二人で陸上競技場内の特設共同会見場に赴き、メダリストの登場を待つ。
ところが世界各国から来ているはずの取材陣の数が少ない。
ゴールドメダリストなのにこんなものなのか?
15分後に精悍な顔つきのベンジョンソンが現われる。
会場はし~んとなって外国人記者は誰一人質問しようとしない。ベンジョンソンも何も言わない。
ゴールドメダリストなのに?このままだと会見は終わってしまうではないか。あせった私は質問した。
「おめでとうございます!今回の結果について日頃のどんな努力が報われたのだと思いますか?」
すると…世界一速い男は顔を曇らせる。
「自分としては精一杯やったが、これが今の実力だと思う。もっと精進したい」
なんて謙虚な…これがスポーツマンというものなのか?
続いて待つこと10分。今度はさっきより取材班の人数が増えてきた。2位のカールルイス(米国)登場。早速アメリカ人記者が質問する。彼は「ベンジョンソンの記録は輝かしい。素晴らしいアスリートだ」と手放しでライバルの優勝を称えた。ジェントルマンだわ…と感銘を受ける。取材人はどんどん増えていき、用意されたパイプ椅子が満席となり、立って待つ取材陣もいる。
なぜ??するとその時英語で案内が流れてきた。「ゴールドメダリストのベンジョンソンは到着が遅れています。しばらくお待ちください」
「え?ええ~~~~?」
この時初めて私は自分の大いなる勘違いに気づいたのだった。1位だと思って質問した相手は3位のリンフォードクリスティー(英国)だった!
3位で気落ちしている選手におめでとうなんて言ってしまった!
記者会見は3位、2位、1位と続くなんて約束事をまったく知らなかった。というより顔が区別できていなかった。というより・・・ああ、不適切にもほどがある!
激しく自己嫌悪に陥っていると、ようやく本日の主役・ベンジョンソンが現われた。
競技後の検査に時間がかかったという。(あとから思えばドーピング検査だった)疲れたような表情で覇気がなく各国の記者団の質問にもぼんやりと答えている。この時の私は間抜けな自分に対するショックから立ち直れず質問する気力をすっかり失っていた。
ベンジョンソンが薬物使用で金メダルをはく奪されたのはその翌日のことである。記者会見でメディアの質問に答えながら一体どのような心情だったのか、当時の彼の事を思うと少し心が痛む。
陸上男子銅メダルのイギリス代表、リンフォード選手へのインタビューは、BBCで放送され、当時ロンドン在住の大学時代の同級性がたまたま見ていた。私の声に聞き覚えがあった彼女は「なんと厳しい質問をするんだろう」と思ったと後に同窓会で会った時に言われたのだが、「そういう質問をするのがジャーナリストなんだね」などと誤解の上感心までされ、まさか人を間違えたからだなんて本当のことは言えずにごまかした。「え、そんなことあったっけ?」
この話には後日談がある。リンフォードクリスティーは4年後のバルセロナオリンピックで見事陸上男子100メートルの世界王者となる。インタビューで4年前の悔しさをばねに練習を重ねたと語っていた。私の質問に発奮したからだとはもちろん言わない。(ちょっと言いたい)その後も奮起してベストの結果を出したアスリート魂に心からの敬意を表したいと思うのである。
ソウル五輪のおっちょこちょい話はまだあるので、次回は講談にして披露したいと思う。
袖振り合うも他生の縁。人生は面白い。
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